境内案内図

境内案内図

どなたさまもご自由にご参拝ください。
※縮尺・配置は若干デフォルメされております

境内建物

本堂鎮守堂妙見堂(福壽堂)鐘楼山門庫裡祖師像慰霊碑宝塔五輪塔宝物霊園

本堂

間口六間半奥行き五間半、平屋入り母屋内椽茅葺き。
享保七年(1722)、第六世慈仙院日行上人代に、三代能勢頼恒公ならびに檀方中の協力によって建立された。中央に一塔二尊四師を中心とする御本尊が勧請され、向かって左に、もとは能勢家座敷、右に歴代ならびに檀方永代位牌堂、須弥壇裏の右側に大威徳明王、左側に鬼子母尊神十羅刹女が安置されていた。

昭和五十四年(1979)四月十五日、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌報恩事業の一環として須弥壇以外が改修され、右が位牌壇、左が、祖師を中心として右に鬼子母神十羅刹女、左に大威徳明王、そして須弥壇裏の右側が歴代、左側が能勢家霊牌堂と改められた。

境内
参道石段からの本堂外観

客殿

賓客を接待する本堂東側の奥の間。6畳・8畳続きの間となっており、二間のほか、10畳の仲ノ間が隣接する。

法要後の御斎の場としても活用される

鎮守堂

間口二間奥行き二間、平屋入り母屋、本堂左にある。日光寺の鎮守であったと思われる等身大立像十一面観世音菩薩が中央に祭祠され、両脇に三十番神が勧請されている。
詳細は不明であるが本堂建立の前後に建てられ、当時は妙見大菩薩、七面大明神が祀られていたようである。

鎮守堂
鎮守堂外観

妙見堂(福壽堂)

二間四面銅板葺き。中央に妙見大菩薩、右に大古久尊天、左に七面大明神が勧請されている。
昭和五十年(1975)五月十二日再建、番神堂を福壽堂と改めた。番神堂は、能勢市十郎頼永公嫡子権十郎頼寛公と次男半十郎一正公が願主となり武運長久息災延命を祈って、天照大神、八幡大菩薩、春日大明神を、開山感應院日運上人代に勧請したのが始めである。文政十二年(1828)十一月、第十五世恵明院日照上人代に再建されている。

妙見堂(福壽堂)
妙見堂(福壽堂)外観

鐘楼

領主能勢出雲守頼公の依頼により郷中力を合わせ、第五世一乗院日演上人代、元禄四年(1691)八月に落慶する。しかし昭和十七年(1937)十二月一日、第二次世界大戦のため供出の憂き目をみる。檀那室木重次氏の志によって昭和二十三年(1948)鐘が寄贈されたが、宗祖大聖人御聖誕七百五十年報恩事業の一環として昭和四十五年(1970)十一月九日、鐘楼が完成した。銅板におのおの志すところの名を記し、それを鋳造したものである。

その後平成三十年(2018)の台風第21号の甚大な被害により半壊。現在の鐘楼は令和元年(2019)十二月に再建された。

鐘楼外観
鐘楼再建落慶大法要

令和二年(2020)一月八日、鐘楼堂完成に伴い、盛大に落慶法要が執り行われた。

当山二十三世日慧上人導師のもと、本堂内にて
管内寺院の修法師による祈祷
たくさんの壇信徒面々と共に鐘楼落慶を祝った

山門

惣檀方中の志で寛延四年(1751)四月九日、第八世法如院日縁上人代に建立されたものである。
平成三十年(2018)の台風21号により屋根が半壊。令和元年十二月に再構築された。

山門

本堂北東に位置する社は半間四面、古くからあるもので近年再建された。妙法両大善神が祭祠されている。

妙法両大善神(妙法二神)は、身延総鎮守・妙法両大善神本社、奴多山 十萬部寺にて祀られている神さまで、もとは身延山の峰に棲む二体の天狗であり、火難・盗難除けの神さまとして信仰されているようである。

妙太郎・法太郎の伝説

二神は日蓮聖人の身延山入山の頃より身延山中にいた天狗で人々を困らせていたが、聖人の高座石での説法で教化され、のちに妙太郎、法太郎の名を頂き、妙法両大善神として法華経を信仰する人たちを天狗の大いなる力で守護するようになったと伝わる。
(身延地域資料 身延の民話)

鬼門を護る「妙法両大善神」の社

庫裡

宝暦四年(1754)二月二十七日、第八世法如院日縁上人代に再建、昭和五十三年(1978)宗祖日蓮大聖人第七百遠忌報恩事業の一環として大改修される。
宝暦以前にはかつての本堂の材木を使った庫裡があったが、古材のため傷みが早く、わずか三十三年で再建の運びとなった。
令和二年、二十二世日生上人夫人の寄進により立派に改修され現在に至る。

祖師像・石碑

宗祖日蓮大聖人第七百遠忌報恩事業の一環として昭和五十三年(1978)十月十三日建立。

祖師像の台座には日蓮聖人「立正安国」ご真筆とご生涯図が彫られている

慰霊碑

三段の台座の上に縦62cm・横97cm・高さ224cmの宝塔。総丈380cm。
昭和二十五年(1950)四月、日温上人代、切畑住民有志一同が、大東亜戦争戦死病没の英霊供養のため建立する。台座後ろに発起人、左右に従軍者、砲塔の正面御主題下に戦死者名が記されている。
昭和二十五年(1950)当時は現在の道がなかったので本堂正面石段より機械を使用せずに運搬し建立したものである。

慰霊碑

宝塔

石段下本堂向かって右側に二つあり右側は96cmの高さの台座に縦53cm・横120cm・高さ179cmの自然石。御主題左に「第六百五十遠忌」裏に「大正十四年七月建立、本慈院日永代 施主稲久保松次郎」と記されている。左側は、高さ50cmの台座に、縦30cm・横120cm、高さ175cmの御影石に御主題その下に清岳山法性寺と記されている。右側に「貞享四丁□年六月十三日」とある。

五輪塔

「奉納 立教開宗750年慶讃 静岡県富士市 髙阪一夫寄進 平成十三年三月吉日」と記されている。平成十三年三月二十五日建立。

五輪塔と五輪塔の経石

石門

縦30cm・横40cm・高さ320cmの御影石の柱を参道に一対たてている。大正十五年(1926)五月建立。

宝物

寂照院日乾上人大曼荼羅

縦103cm・横47.3cm。開基日念上人の師で本満寺歴代・身延山二十一世日乾上人の御真筆。慶長十一年(1606)十月三日摂州能勢群切畑惣中本尊也。

石ぶろ

大阪府教育委員会指定文化財。
走湯神社祭神「少名彦命(すくなひこのみこと)」が産湯を使われたといわれている。これに水をはり焼き石を入れて沸かし入浴したと伝えられる。周囲の丸い穴は薬草をすりつぶすためという。

石ぶろと手水場

かね引き地蔵尊(石仏)

高さ139cm・四幅77.3cm、中央に高さ83cm、四辺長44cmの舟形彫り込みの中に高さ68.8cmの地蔵尊が半肉に浮き彫りされている。
像の左右に次の銘文を記している。
左 正和三年甲寅□□ 右 十五日願主□□□

かね引き地蔵尊
かね引き地蔵尊の脇には小さなお地蔵さまがいくつも祀られている

霊園

霊園隣には石仏と歴代・能勢家廟、力士豊嶋安次郎の塚がある。

眼前に田畑やはるかな山並み風景がひらける陽当たりの良い霊園

<本文は主に 日蓮宗豊能管区寺院名鑑 より>