宗旨
- 名称 日蓮宗
- 開祖 日蓮大聖人
- 開宗 建長五年四月二十八日(鎌倉時代 西暦一二五三年)
- 本尊 久遠の本師釋迦牟尼佛
- 題目 南無妙法蓮華経
- 教義 日蓮宗はお釈迦樣の説かれた最高の教えである法華経をよりどころとする宗団です
この法華経を身をもって読まれ布教をせられた日蓮大聖人を宗祖と仰いでおります
本宗の教義は法華経の魂をお題目にこめられた宗祖の教えに導かれて私たちが信行に励みこの教えを弘めることによってやがて世界の平和と人類の幸福ひいては個人の幸せにつながる事を確信できる教えであります - 経典 妙法蓮華経(法華経)
法性寺縁起
- 住所 〒563-0213 大阪府豊能郡豊能町切畑506
- 開創 寛永十八年(1642)九月二十日
- 開山 感應院日運上人
- 開基 玉持院日然上人
- 建物 本堂・妙見堂・鎮守堂・鐘楼・山門・庫裡・土蔵 他に宝塔・歴代廟・宗祖銅像等
由緒沿革
当山は清岳山法性寺(せいがくざん・ほっしょうじ)と号す。もと禅法の寺である。
京都広宣流布山 本願満足寺(広布山本満寺)第十三世、のち身延山久遠寺第二十一世寂照院日乾上人とその一門により能勢領内に法華経が流布されたころ、慶長十一年(1606)、切畑に題目講が作られた。
寛永十八年(1641)九月二十日、能勢頼次公五男頼永公の内室が逝去され、その菩提のため西野村芝の下に一宇を建立した。これを法性寺と号し、京都本満寺の末寺となり、寂照院日乾上人の高弟 玉持院日然上人を招じて開基とした。
慶安三年(1650)、中谷山日光寺と称する禅寺に 感應院日運上人が芝の下より法性寺を移転せられ、現在にいたる。
また創立当時切畑の人びとはことごとく法華経に帰依したようで、藤森神社、走湯神社ともに法華勧請されている。
走湯神社勧請札(縦75.1cm、横22cmの木札)には、
慶安第壬辰歳九月下旬七日
法華鎮守走湯天王
日運在判
と記されている。
さらに大円観音堂には開山感應院日運上人の板曼荼羅を祭祀している。
第六世慈仙院日行上人が享保六年(1721)、本堂を新築し、第七世圓視院日啓上人は鎮守堂を建立される。鎮守堂には、日光寺の本尊で伝教大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩が勧請されている。また、その額は身延六牙院日潮上人の書である。
当山の歴史は学僧が多く輩出し、京都の冠鶏井檀林(当時の最高学府)で、「法華文句」「法華玄義」などを講義され、宗門の師弟育成に貢献されている。
<日蓮宗豊能管区寺院名鑑>